springkunのブログ

日本国内の温泉やストリートピアノ を探し回り、そこでの記録を書いています。

あなたはミニマリストになりたいの?それとも…【大事なのはハッキリした1週間後の自分】

 

有名ミニマリスト

 

皆さんこんにちは、ミニマリスト担当のツジです。

 

ミニマリストに憧れた、あるいはなろうとしたきっかけ。それぞれあると思います。筆者は佐々木典士著「僕たちにもうモノは必要ない」という本でした。

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私も当時は迷走していて、失敗をしていました。結論から述べると、「佐々木さんになろうとしていた」ということになります。

とにかく形から入るタイプで、ベッドを捨てエアリーマットレスを買い、床のものを全てクローゼットにブチ込み、収納家具すら捨てていました。

当時は充足感もあり、周りに筋金入りのミニマリスト扱いをされていました。(この辺今でもですが…)

 

気づいたのは数ヶ月後。

い、家に居たくねえ…

当たり前です。マットレス畳んだものに座ってられる時間は限度がありますし、殺風景すぎて退屈です。「ミニマリストになることに没頭できた」ころは良かったんです。ただ、ミニマリストになったことでやることが無くなってしまったんです。

他の記事でも触れていますが、ミニマリストはライフスタイルを確立する手段の一つでしかありません。ミニマリストを目的とした生活は必ず限度が訪れます。食事だって1日1食未満にはできませんし、物理的な限度はあります。

それこそ、著名なミニマリストも、よく分からないもの買っては捨てを繰り返しています。

「生活のアップデート」「トライアンドエラー」一見耳触りの良い言葉ですが、変化が必要だったんです。

 

記事を書いている現在の筆者のスタイルはこうなりました。

「没頭できるものにはゲームだろうが読書だろうが徹底して時間を割く。代わりに要らないものは徹底して省く。時間も、物も。」

こんな感じです。恐らく、3年前の筆者からしたら「ミニマリストがゲームするな!ミニマリストはゲーム機捨てろ!」とか言うかもしれません。間違ってはいません。

あくまで目的が違うんです。

当時の筆者はミニマリストになろうとしていたようで、「佐々木さんになろうとしていた」んです。著書でもゲームは手放したそうです。

筆者の今は今でミニマリストになろうとはしていません。結果論として物の数は周りより少ないですし、シンプルなものを好む傾向も分かってきました。ただ、それ以上に「やりたいことが何か」に意識を置いています。

 

このやりたい事は何かというのが曖昧になると混乱を招いてしまうので、一つ指標として、「未来にどうありたいか」です。未来は予測できませんが、少なくとも今行ってる行為がある種の未来予測になります。

今酒飲んでいれば1週間後も飲んでいるでしょう。

ゲームしてれば1週間後もやっているでしょう。

では、変化させたいならどうするか。それは、「今変化する」ことに尽きます。今ゴミを捨てれば、捨てなかった未来と違う未来を自ら引き寄せられます。

人間は元来変化の苦手な生き物です。というか、恒常性を保とうとします。だから、今変化することで、その恒常性を保とうとできます。

 

 

少しややこしくなりました。

「1週間後どうあったらいいか」

これくらいにしてみましょう。部屋の片付け、趣味の捗り具合、仕事の組み方、家事の予定…。これらを1週間程度でできる範囲を定め、今取り組んでしまうんです。

大事なのは、今取り組むことと、自分でイメージすることです。

片付けなんかでよく言われます。「散らかす人と片付ける人が一致しないと片付かない。」

このケースで言えば、イメージする人と実行する人が一緒である必要があります。

 

最初の話に戻ると、筆者は「佐々木さんのイメージに則り行動した」ことになります。だから歪みが生まれました。

そして今「自分のイメージに則り行動する」ことにしています。筆者であれば、長期展望はできません。できて1週間。いや1日かもしれません、やることを決めて、ゆとりのある今取り組む。これに尽きます、豊かな未来を願うなら。

 

最後に、例外についてです。

恋愛とか、チームでの仕事など、他者が絡むことについてはこの限りではありません。相手の同意ありきですので。他者の行動に引っ張られて一喜一憂しているとこちらの身が持ちません。また、他者の行動に依存するスタイルというのも、自分の変化・確立の妨げになります。

あくまで、1人でできることの場合にお役立てください。

 

読んでいただき、ありがとうございました。