springkunのブログ

日本国内の温泉やストリートピアノ を探し回り、そこでの記録を書いています。

モンハンとスマホゲーから学んだ、「自由」への執着

 

 

←前回の記事が好評だったので味を占めている

 

 

 

どうも、ツジです。前回、「時間」への執着という話題を取り上げました。金や時間、そして今回の「自由」は難しい概念の話になります。難易度にめげずに考え方の提案をさせて頂きたく思いますのでよろしくお願いします。

 

問題の記事

https://springkun.hatenablog.com/entry/2020/09/09/030247

 

自分でコントロールできないものはストレッサーになりうる。これは前回の記事の話です。そして今回は、自分でコントロールするのが難しいものの話です。それが自由。

 

今回はこんな感じ。

  1. 猿のように貪ったモンハン
  2. オンラインの台頭とスマホゲーム
  3. モンハンにハマれた理由

 

猿のように貪ったモンハン

筆者が中高生の頃、モンスターハンターシリーズが周りで大人気でした。(←1991年生まれ)

わりと遅れてデビューした方なので、MHP2Gが発売され、みんながZ装備に夢中になっていた頃、下位の火の片手剣でドドブランゴが倒せずあくせくしてたのは良い思い出。

 

当時は、友達と一緒にプレイ(寄生)してました。同じく火の片手剣を初見のシェンガオレンに担いでキレられたのも良い思(

 

よくもまあ飽きずに出来たなと今になると感じます。総プレイ時間1000時間やってたような…もはや理性を失った動物の本能赴くままに楽しんでました。最後は裸狩りとか武器縛りとかマニアックなこともやってました。

 

時はすすみ、社会人になります。

 

 

オンライン環境の台頭とスマホゲーム

社会人1年目、依然モンハン熱は冷めやらず。やっぱり猿のままでした。…スマホゲームに出会うまでは。

 

それからさらに1年、高校の同級生からパズドラをインストールさせられてから状況が一変します。筆者は課金嫌いなので無課金プレイヤーでした。ヴァンパイアを粘り、エキドナを粘り、ガチャを縛るという凶行にも走りました。意外にも、当時のパズドラは楽しかったです。タダでしたし。

しばらくして、あらかた遊んだところでガチャを解禁させることにしました。ベルゼブブと赤ソニアパーティ使ってた身としては、ロノウェの144倍に一時人知れぬ興奮を覚えた記憶があります。

 

そう、一時は。

 

ガチャを自由にしたところで、新たな可能性が生まれます。

「ガチャ引けばもっと強くなれんじゃね?」

正解でもあり、間違いでもありました。

このガチャの自由と与えられた可能性が大きな落とし穴でした。

確かに引けばインフレの波に乗りながら、今まで苦戦していたクエストがスルスルとクリアできるのです。

それと同時に、パズドラに冷めることになりました。五右衛門が弱く見えるのです。当時は憧れてたのに。

 

インフレの大きさは、今ある楽しみを鎮火させるとともに、ゲームの楽しさをガチャという不確定要素に委ねることになったのです。ここまでの流れは前回記事の、自分でコントロールできないものはストレッサーそのままです。いよいよガチャ爆死しようものなら、ストレスはマッハです。

 

こうなると止まりません。パズドラそのものを見限ることとなります。今考えると、ガチャを堪え続けてたら筆者にとってのパズドラはまだ続いていたかもしれません。

しかし世の中すごいもので、スマホゲーなんてゴマンとあります。パズドラはうち一つでしかなかったのです。

 

スマホゲーは基本無料なので手つける分には躊躇はいりません。なんなら初回無料ガチャだのスタートダッシュガチャだの沼に引きずり込む気満々です。協力プレイは複数ユーザーがいてナンボですが、さすがはスマホのインフラ。やったゲームはモンスト、クラフィ、白猫…枚挙に暇がありません。

筆者も全部やりました。同時に、全て一月と続きませんでした。飽きです。

 

 

2015年の10月(だっけ?)、そんな筆者に懐かしいものが現れます。モンスターハンタークロスです。買い切りのゲームで、慣れ親しんだモンハン。これが楽しくないわけはない。そう思いました。

社会人になると学生の頃と違うと思う方もいらっしゃるかと思います。しかし考えようです。社会人に宿題も受験勉強もありません。仕事は定時で終わらせるよう工夫するまでです。バイトもありません。(一概に全てこうなるわけではありませんが…)

 

モンハンクロスは革新的で、今まで出てきた全武器種が登場する上、モンスターもお祭りレベルの登場数。武器はさらに4つのスタイルが存在し、遊びごたえはさらに増えました。トドメはオンライン環境。無線LANさえあれば3DS1個で高校の友達どころか無尽蔵のユーザーとオンラインゲームができます。買う前までのワクワクは凄まじいものでした。

 

ところがぎっちょん

 

これは筆者の悪い癖なんですが、超がつくほどの優柔不断+凝り性。強くて、レビュー1位じゃなくて、それでいて1個の武器だけで縛る病気を持ってました。ましてスタイルまであるからタチが悪い。気に入らなくなると最初から何度もやり直し。やはり長くは続きませんでした。

 

なんとか、エリアル大剣に目星をつけて楽しいハンターライフを味わっていました。しかし一人で。

オンライン環境があるにもかかわらず、オンラインの方が早く狩れるにもかかわらず、1人で閉じこもってハンター生活することになったのです。…だって、みんな同じ装備なんだもの。

 

 

 

4.「自由の不自由」あるいはその逆

終 可能性はその全てが恩恵ではない

 

 

「自由の不自由」あるいはその逆

スマホゲーに辟易する人の理由として、「ゲームバランス」ともう一つ、「選択肢の多さ」があると思います。(ガチャ?知らぬ存ぜぬ)

 

ストーリー、イベント、高難易度、育成…できることが多いようで、これは人間の意思力をごっそり奪ってくれます。選択できることは利点ではないのです。

モンハンも、10を超える武器に4のスタイルが加わると、選択肢の数が凄まじいことになります。

特にモンハンの武器に関しては、全てが同じ強さではないので、優劣が生じます。そこにオンライン環境、より多くの人が関わる世界となり、そこにはある種の社会が生まれます。

 

社会は自然とルールを作り出します。同じ状況で生きる中で必要な取り決めです。それは同時に、暗黙のマナーとして知れ渡ります。モンハンでいうと、武器と装備はこれが推奨だの、スマホゲーでいうとこのキャラ装備でこないといけないみたいなルールが生まれてきます。

 

自由とは名ばかりの不自由がそこにはあります。好きなキャラ、好きな武器?実際は、みんなに合わせたキャラと武器を揃えるために躍起にならざるを得ないのです。…暗黙のマナーより自分の好きをとれる方は、その限りではありませんが。

 

ある意味、高校の頃のモンハンとは、思い出補正もありますが、選べる武器の少なさ、たかだか友達にキレられる程度の社会の狭さゆえにハマれたのかもしれません。限られた条件というのは、意外とその中での可能性を模索できるものです。

まぁ、人間の脳にふさわしいレベルの選択肢の数が重要なのかもしれませんが…。

白猫も、槍と斧と杖で役割あったころは楽しかったです。のちに役割を押し潰すパワーインフレと環境キャラ、産廃キャラの存在でダメになりました。

 

可能性はその全てが恩恵ではない

結局、でかけりゃいい、多ければ多いほどいいわけじゃないようです。

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どんなに選択肢が多くても、選ぶのは1つ。ならば、いらない選択肢を間引くのも時として必要なのではないでしょうか。

可能性を残すこと、自由を与えること。一見、素晴らしいことのように思えて、落とし穴でもあります。

欲なんです。自分を見失い、無いものを求める欲なんです。

 

自由が不要だとは思いません。先の見える一生は決しておもしろいものではありません。

しかし、自由に執着して逆に一生の深さを浅くするのであれば、手放すべきはその自由なのではないでしょうか。

不自由の中にある自由、そのありがたみはきっと人生を深くしてくれると筆者は信じています。価値は自分の外ではなく、中に眠っています。

 

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↑名言の宝庫白猫プロジェクト(←実はまだやってる)

 

お読みいただき、感謝です。

 

ではでは。