springkunのブログ

日本国内の温泉やストリートピアノ を探し回り、そこでの記録を書いています。

全日本男子バレーボール「柳田 将洋」について

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世間は今ラグビーのワールドカップで盛り上がっていますが、そのラグビーと同じくらい盛り上がっているのがワールドカップ世界バレーです。

 

今回はそのワールドカップ世界バレーの日本代表キャプテン

「柳田 将洋」

について語っていきたいと思います。

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こちらは春高バレー2010で優勝した時のお写真です。

やっぱりイケメンやなw

 

どーも。

柳田と過去2度対戦したことのあるシノです。

 

別に自慢じゃありませんよ。

だって東京在住のバレーボーラーなら誰しも対戦した事があると思います。

 

先ずはプロフィールから

名前:柳田 将洋

出身:東京都江戸川区

生年月日:1992年7月6日

身長:186cm

最高到達点:335cm

来歴:安田学園中→東洋高校→慶應義塾大学サントリー

所属:TVインガーソル・ビュール

 

実は自分、柳田の事は中学1年生の時から知っていました。

というのも、彼は安田学園中出身で2個上には東亜学園春高優勝に導いたキャプテンの清水さんが居たこともあり、清水さん2世として期待されていたので知ってました。当時は本田という選手と二枚看板で活躍していましたが、それ程強力なスパイクを放つ選手ではありませんでした。しかし、中学3年時は東京No.1アタッカーとして安田学園を全国へと導きました。更にJOC都道府県選抜に選ばれ同じ代には東洋高校で優勝をした時のメンバーや東亜学園の超攻撃的セッターの山本を要して優勝候補筆頭として乗り込みましたが、山形県選抜に負けてしまいました。その後は東洋高校に進学し、1年生の時からレギュラーとして活躍しました。その時に初めて対戦しましたが、ライトで出ており難しい乱回転したボール捌きがとても上手く、サーブは爆発音を響かせ強力な今と同じジャンプサーブを打っていました。

いやー、この選手ヤベーなと思いましたね。

そんな柳田をもう一度見る機会がその年のインターハイでした。開催地が埼玉県ということもあり、見に行く事が出来ましたね。その時は全国の強豪に対して先輩では無く柳田しか決まらないという状況でした。

代が変わり、柳田がエースとしてチームが再出発しました。この時に2度目の対戦となりましたが、この時は更に更に驚きましたね。柳田の代名詞と言われるクロススパイクが相当エゲツなかったです。殆ど手首だけのような打ち方なのに打力がめちゃくちゃ重かったです。東洋高校の他の選手も凄かったですが柳田は別次元の強さでした。既に完成されていましたね。

そして迎えた春高バレー2009ですが、やはりこの男はやってくれました。優勝候補の長崎県佐世保南や兵庫県の市立尼崎を下し、更にはその時優勝した宮城県都城工業に対してフルセットのデュースで敗戦しましたが、チームをベスト8に導き柳田旋風を巻き起こしましたね。あれで勝ってれば間違いなく優勝したと思いますね。

その後の関東大会では今の日本代表セッターの関田や同じ駿台学園中出身の小芝と共に優勝を果たしました。また、インターハイでは春高で準優勝した福岡県の東福岡にフルセットの末に負けベスト16止まりとなりました。

そして代が変わり迎えた春高バレー2010ですが、柳田・関田率いる東洋高校が優勝候補筆頭でした。初戦で長崎県の大村工業にフルセットの末に勝利して波に乗ると準々決勝までは解説も柳田劇場と言わしめる活躍ぶり。しかし、準決勝の秋田県雄物川戦で今大会初の不調に見舞われてしまいました。セッターの関田が他の選手を上手く使いながらなんとか最後は柳田に決めさせようとしますが、打つスパイクは皆アウトになります。ここで終わってしまうのかと思いましたが、バックアタックを機に復活してセットカウント3-1で決勝進出を果たしました。決勝は当時平成の三羽ガラスの1人池田率いる熊本県鎮西高校。高さと総合力では勝る鎮西ですが、最初から最後まで柳田を止められずに終わってみればストレートで初優勝しました。優勝インタビューでは「孤高の大エース」と紹介を受けていた様に春高史上エース一強で優勝したチームは無いくらい〝柳田の東洋〟での優勝でした。また、解説されていた当時の全日本監督の植田監督も「近年珍しい素晴らしい選手」と絶賛するくらいの活躍でしたし、何よりスパイクフォームがめちゃくちゃ綺麗でした。この時代はフォームよりもパワーで押し切るバレーがまだ強かったのでコースを打ち分けて決める選手は少し珍しかったと思います。

その後の関東大会も制して2巻目を狙いインターハイに臨みましたが、準決勝で優勝した山口県宇部商業にストレート負け。しかもこの代の宇部商業は2年生チーム!また、秋の国体では東洋単独チームで優勝を目指しましたが初戦で春高でも戦った長崎県の大村工業にまさかの敗戦。この頃の柳田は相当苦しんだと思います。

そしてそして、迎えたまさかの春高バレー。私も当時驚きましたが春高バレーは今まで3月に開催され春に行われるので〝春高〟と呼ばれていましたが、選手権大会として1月開催となりまさした。という事は、以前は2年生まででしたが3年生が出場できる事になりました。この時は流石に色んなチームがザワザワしていましたね。その時優勝した東亜学園もチーム内で言い合いが起こったとか。そんな中で最後のチャンスを結果に変えるために東洋はレシーブを強化。インターハイや国体でも柳田のスパイクよりも致命傷だったのがレシーブだったので底上げを図りました。

そして本当に最後の高校バレーとなった春高バレー2011ですが、初戦から一昨年の優勝校の宮崎県の都城工業と当たり、相手も柳田を止めるべくブロックシフトを敷いてきますがやはり柳田は止まりませんでした。なんかインターハイや国体の時よりもパワーアップしてましたね。並のブロックでは弾かれてコースに入ったとしてもレシーバーが吹き飛ばされていました。そんな柳田を止めたのが昨年決勝で戦った熊本県鎮西高校です。高校バレー界では名将中の名将畑野監督の柳田対策でブロック・レシーブを強化して柳田に対して常に3枚、最低でも2枚ブロックで圧力をかけ、抜けたコースにはリベロが好レシーブし、センター線と両レフトを絡めながら何処からでも攻撃できる態勢で迎え撃ちました。東洋もライトの岩橋を使いますが、柳田が決めきれないとやはり勝てない事がこの試合でも露わになりました。余談ですが、この時優勝した東亜学園は今まで東洋が負けてきた相手にフルセットの末に勝っています。3回戦ではインターハイで負けた宇部商業、準決勝では国体で負けた長崎県の大村工業、そして決勝では準決勝で敗れた鎮西高校。これで東京第二代表なんだからこの時の東京はレベルが高かったですね。これで柳田の高校バレー人生は幕を閉じました。

こう見ると同じ全日本の石川選手と比べてかなりの悪路を行っている気がしますが、そこで養われたのが今の柳田の強さだと思います。

さて、ステージは高校から大学へと変わり、自分も何処の大学へ行くのかなとソワソワしていましたが、慶應義塾大学でしたね。東海大学中央大学じゃないんだと思いましたが、柳田らしいっちゃらしいなと思いました。やはり柳田は修羅の道を選んで他の誰かがエースとして活躍して勝ったんじゃ自分の本当の勝利ではないと確信してこの道を選んだのではないかと思います。当時のインタビューには勉強と両立したいと書いてありましたが、静かに闘志を燃やしていたんですね。慶應義塾大学には2つ上に東亜学園のセンター山本さんらが居たのでそれ程弱くわありませんが他の大学に比べると少し劣っていたかもしれません。最終学年ではキャプテンも務めてサントリーへ就職しました。

そして、2015年の世界バレーでデビューしました。この時から柳田と言えば〝サーブ〟という感じになりましたね。また、関田選手は高校時代からの付き合いなので昔の思い出話とか面白そうですね!

 

今回は本当に長々と書きましたが、全日本のキャプテン柳田将洋選手の紹介でした。

というか、高校時代が長すぎましたねw

書いていて疲れましたので後半は少しというかかなりグダグダでしたがご容赦を。

 

世界バレーはまだまだやっていますので是非観てみて下さいね!

本日イランに勝って4位確定したみたいです!!!

残り2試合ですがもしかするとメダルが見えてくるかもしれません!

 

では。