ミニマリストとは、自分主体の暮らし!…本当に?
どうも、ミニマリスト担当のツジです。
ミニマリストって自分主体の暮らしをするためとは言うけど、本当にそうなんだろうか。
— 元ミニマリストTsujji (@minimalist_tj) 2019年5月29日
実は「○○さんもやってるから」とか「やらないことがいいから」とかどうも言い出しっぺが自分じゃないのが多い気がする。
僕は…
固定概念に縛られていたことから解放され、自分を第一に考えるのがミニマリストのあり方。そう述べる人は少なくありません。
ただ、筆者はどうも見てて疑問を感じます。
「スティーブ・ジョブズもミニマリストだったから。」
「ジョブズも私服の制服化をやってたから。」
「シンプルなのが一番いいから。」
まぁ偏ってますね僕の例え笑
ただ、決して少なくないはずです。別にジョブズがーって話ではありません。あなた発祥のものがどれほどあるかということです。
ミニマリストに憧れるあまり、自分を捨ててまで憧れに傾倒する人が多いよう思えるのです。
そこまでやるか?本当にやり通せるか?
これはミニマリストに限った話ではありません。人間、耳当たりのよい言葉にどうも弱いようです。
例えばミニマリスト界隈で考えてみます。出てくる言葉は
「ものはない方がいい!」
「シンプルが一番!」
「○○もミニマリストだから!」
「1日1捨て!」
シンプルですね、ミニマリストだけに。
確かに分かりやすいです。迷える人を導くには十分な言葉です。…そうです、導かれてるんです。
色々理由はあるでしょうが、生まれながらのミニマリストはごく僅かです。ジョブズもそうだったのかもしれません。ただ、多くのミニマリストはそういったごく僅かな人たちに影響を受けてきた方なのではないでしょうか。
これは筆者のミニマリズム実践経験の話になります。
もともとモノが多くありませんでした。完全なミニマリストではありません、ただ生来の適性はあったのだと思います。そんな中、ある本に出会い、ミニマリストの道を歩みました。
まだ無くていけるものは多い。
チャレンジ精神赴くままに最小限を目指すことになります。そして最小限が訪れます。
しかし、そこで暮らしにくさに気づきました。ベッドの埃より寝具の小ささに拘っていたこと、部屋に物を置かないためテレビを捨て小さいスマホとにらめっこしていたこと。冷蔵庫のコンセントを抜き、毎日惣菜を遠回りしてまで買いに行ってたこと。
…ミニマリストとは名ばかりで、自分まで捨てていました。
無理して捨てたものを再度使うことで自分がミニマリストでなくなるならそれでも構わない。あくまで、自分は、自分のために生きる。自分のことは自分で決める。
そう決意した時、憑き物が落ちたようにモノと向き合えるようなりました。
結果としてミニマリストであることに拘ってない今の方がミニマリストらしい暮らしをしているようです。要素をかいつまんでいくと、全てが不利益になるわけではありませんでした。むしろ有用な方法論も沢山出てくる。
ミニマリストを否定しているわけではありません。自分まで捨ててミニマリストになることは否定します。
あなたを導いているのは何でしょうか。ミニマリストでしょうか。それとも自分自身でしょうか。ミニマリスト実践するにあたって、ぜひ考えていただきたいです。より良い暮らしのために。
読んでいただき、ありがとうございました。