springkunのブログ

日本国内の温泉やストリートピアノ を探し回り、そこでの記録を書いています。

ミニマリストが思う、モノを捨てるという行為

 

 

どうも、ミニマリスト担当のツジです。

 

 

 

ミニマリスト=捨て魔

この発想に待ったをかけたい。見てると病的にモノを捨てまくる人がいる。嵐のようにモノを捨て、スッキリしている人。

 

確かに筆者の部屋はモノが少ないです。ただ、1日1捨て習慣とかやってるわけじゃありません。不要なものは持たないだけです。

 

今回は筆者なりの理由にはなりますが、モノを捨てる行為に対しての見解を述べていきます。

 

 

資産としての価値が所有コストを下回った場合

少し難しい表現になりました。例えば服。3000円で買ったとしましょう。その服は、買った瞬間、3000円ではなくなります。返品期間を終えれば、売っても10〜100円ほど。世の中での買取価値はその程度になってしまいます。

だから自分にとって大事かが、その服の資産価値となります。洗濯、保管といった維持をしてでも着たいと思えるなら、持ちます。

しかし、全く着ないで、タンスの肥やしとなっているようなら、自分の中ですら資産価値は0となってしまいます。こういう物は捨ての対象となります。

逆に、自分の中で長期的な価値を見出せなければそもそも購入しません。これが捨て魔と違うという理由になります。

 

捨て魔の場合、おそらくスッキリする段階が、片付け終えた状況よりゴミ袋にあれこれ詰め込んで大量のゴミを見た瞬間です。キレイにするというより、ゴミを捨てているその行為に執着しがちな方がいます。やりすぎた結果、モノがなくなっていく人もいますが、捨て魔と持たない主義の方はベースが違ってきます。

 

筆者のミニマリズムはどちらかというとスピリチュアルより損得勘定で成り立たせています。

 

必要なものは残す、不要なものは買い足さない。ダメになったら捨てる。基準は他者目線と自分自身の価値判断。そもそも不要なものを買い足さない目があるので、頻繁にモノを捨てなければいけない状況はそう起こりません。強いて言えば掃除機かけた時のゴミとか。

 

やっぱり、モノを捨てるという行為はためらいがあります。その時価値がなくても、買った時は価値のあった品なんです。価値をダメにしたのは自分です。無理にその気持ちを解き放つのは、考えをやめていることの他なりません。捨てるという行為、やはり重いです。だから安易に行いたくない。買う時から考えていきたいですね。

捨てる行為にこだわる方への警鐘の意味もあり、今回記事にしました。

 

読んで頂き、ありがとうございました。